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奈良、富山、釜山 (初)、幕張
5月の連休明けから講演が続き、忙しく過ごしました。
5月11日 (日)、奈良市で開催された国際心臓学会で Keynote Lecture を行いました (写真下左)。陳君の結果が、持続的小胞体ストレスによる心不全発症と小胞体ストレス応答活性化による改善なので (メダカを用いた解析)、それらで締めくくるととても好評だったようです。1泊させてもらって帰りに平城宮跡の朱雀門を見て帰りました (写真下中)。
14日 (水)、富山市で開催されたフォーラム富山「創薬」第61回研究会で特別講演を行いました。主催者のご希望により、小胞体ストレスの研究が創薬につながる現状と展望、Peterとのバトルを話しました。大好評だったようです。夜には、富山大の学生さんたちも加わって懇親会が一次会二次会と続き、楽しくてついつい飲みすぎました。ガラス美術館を訪れる余裕もなく帰京しましたが、フォーラム前に、景観が美しいと評判のスターバックスで昼食をとってほっこりしました (写真上右)。運河のほとりに建っていて眺めは良かったのですが (写真下左中右)、あいにくと雲が多く、立山連峰を拝むことができなかったのは残念でした。
19日 (月) 〜23日 (金) 初めての釜山出張です。FAOBMB (Federation of Asian and Oceanian Biochemists and Molecular Biologists) からの招聘でした (写真下左)。写真下中の右から2人目は空港まで迎えに来てくれた Lee 准教授、一番右は空港へ送ってくれた Kim 助教授。会場にはのぼりが立っていました (写真下右)。伊丹空港から釜山への直行便は韓国の LCC3社が運行しているのみです。少し前に壁に激突したり、離陸前に出火したりと、トラブルがあったので怖くなって、伊丹空港に前泊して朝7時の便、福岡経由の JAL/大韓航空の共同便で飛びました。
昼に到着しましたが、釜山は高層ビルが立ち並ぶ近代都市でした (写真下左)。早速ツアーに連れて行ってくれ、海上を走るケーブルカーに乗りましたが、期待していた遊覧船には乗れませんでした。夕食は、Young Scientists が多いので、食べ放題のしゃぶしゃぶ店へ。韓国ではしゃぶしゃぶが流行っているそうですが、
しゃぶしゃぶというより鍋、という感じでした (写真下下右)。
20日 (火) 午前中に Young Scientist Program で講演。My Carrier Journey を話してほしいという依頼でしたが、サブタイトルを How did a rustic country boy become a Lasker & Breakthrough laureate? として Peter とのバトルを含めて話したら大好評でした。
夜には、店主が釣ってきた魚を刺身等で出してくれるお店に連れて行ってくれました。下中はヒラメの刺身、下右の中央の丸い皿の中には生きているタコ、踊り食いしました。お刺身を辛いコチュジャンでいただくのも美味しいですね、新発見!
21日 (水) 夜には、正式なディナーに招待され、フランス料理をいただきました。写真下左はサーモン、下中のステーキは柔らかくて美味しかった。K-pop dance のおもてなしもありました (下右)。
釜山は陳君の故郷ということで、22日 (木) 夜に、陳君のお母さん・奥さん・お嬢さんと韓国家庭料理のお店で食事をしました。品数が多く、どれも美味でした。下左の鮑は特に美味しく、下中のお肉や、下右の右に写っている蟹を醤油に漬け込んだものは卵がねっとりとしていて美味しかったです。お母さんとは陳君の結婚式以来でしたが、通訳してもらって楽しくお話しできました。
23日 (金) の午前中に Plenary Lecture を行いました。奈良で行った講演をわかりやすくしたもので、陳君を売り込みました。好評だったようです。せっかく韓国に来たんだから焼肉と冷麺を食べたいなと思っていたら、高級店に連れて行ってくれました。店で一番のコックさん (写真下左) がちょうどいい加減に焼いてくれたお肉は本当に美味しかったです。締めは辛いラーメン (下中)、キムチチャーハン (下右)、写真を撮り忘れた冷麺で大満足でした。
夕方に釜山から福岡に飛び、博多駅から新幹線で帰京しました。ちょっと長旅で疲れました。韓国の人は食事中に何回も乾杯するし、食事の量が多かったですが、この釜山出張中、大歓迎してくれ、2年後の釜山での講演も予約されました。
6月5日 (木) 幕張メッセで開催された内分泌学会学術総会で特別講演。内分泌は研究しておりませんので、後半に私の研究の中で分泌の関するところをまとめてお話ししたら、大会長は「圧巻の特別講演」言ってくださいました。今日と先週の金曜日に、細胞生物学の講義を行いました (田中先生追悼行事のブログで告知済み)。来週から論文執筆に戻ります。
研究室旅行 & 中野先生 & APPW2025
今年度の研究室旅行は、3月8日 (土) 9日 (日) に恒例の高取山で行いましたが、京大生命科学研究科の小田裕香子 (森研3'期生) 研究室と神戸大バイオシグナル総合研究センターの蜷川暁 (森研7期生) 研究室との初の合同研究室旅行として行いました。土曜日に宿泊ということもあり、うちの多数のOBが参加してくれました (OGは1人のみ)。
いつものように、滝ノ宮体育館で運動した後にBBQです。今回、ヤマムラ屋が全店閉店したというショッキングな出来事があり、どこで肉を買うか、あれこれ検索し、下見にも行ったりしましたが、結局、精肉店ハナヒサの直売所 (桂にある) で購入しました。事前予約ができ、土曜日に行くと受取りと支払いだけで済み、楽でした。タン・ハラミ・カルビ・鶏肉を3 kgずつ購入しましたが、どれも肉厚で美味しいと好評でした。大量の肉と野菜がみんなの胃袋に収まりました (写真左中)。最後の学生である黒須航太郎君が4月から名古屋大学医学部に編入学するので送別会を兼ねました (写真右)。9日中に埼玉県の和光市に着かないと行けないので、朝食後に解散しました。
10日 (月)、小胞輸送・膜交通の分野を長年にわたって牽引されてこられた中野明彦先生が理研のラボを閉じられることとなり、記念シンポジウムと最終講演会が理研で朝10時から開催されました。最終講演会では3時間近く、思いの丈をお話しされました。18時から池袋のホテルでパーティ。大隅先生、永田先生がご挨拶され、宴たけなわで奥様のピアノ伴奏に合わせてクラリネットを演奏されました。素敵ですね。奥様とはマニラで開催された学会でお会いしています (2011年2月)。
中野先生との1番の思い出は、1996年12月に雨のサンフランシコで開催された ASCB 学会シンポジウムで宿敵 Peter Walter と初の直接対決―私が三方原の戦いと称しているもの―をした際に、自説に自信があるなら頑張れと励ましてもらったことです。おかげで、トリとして負けを覚悟で立ち向かうことができ、今日の私があります。ありがとうございました。本当にお疲れ様でした。
11日 (火) の午後から、西新宿で開催された上原賞授賞式に出席しました。長らく欠礼していたのですが、今回は知己の柚崎通介先生 (慶應大)、神取秀樹先生 (名工大) が受賞されたので、お祝いに駆けつけました。お二人とも素晴らしい受賞講演をされました。おめでとうございます。
飛んで、18日 (火) の午前中に、APPW2025 (解剖・生理・薬理学会初の三学会合同大会) にて依頼されたプレナリーレクチャーを行いました。何を話そうか迷っていたのですが、直前にこのトークが録画され、会員に配布され、文字に起こして学会関連雑誌に載せることを承認する契約を結ぶと言われたので、unpublished data は話せず、ERAD の話をしました。三学会員の方々にとって馴染みのない分野だと思いますが、参考になったのなら幸いです。最近、ノートパソコンとプロジェクターの接続が不安定で、修理したのにまた接続が切れ、動揺を抑えられませんでした。まだまだ未熟ですね。その夜には懇親会が開催され、懐かしいてお顔に出会って旧交を温めました。
少し前に、JR 東日本の久留里線が廃線になる予定 (震災以外初だそう) だとのニュースが流れました。プチ乗り鉄の血が騒ぎ、APPW2025 (幕張メッセが会場) の前に行くことにしました。16日 (日) 東京から木更津に行き、久留里線に乗りました (写真左中)。1時間強の旅です。ゆっくりとした時間が流れました。終着駅の上総亀山駅は無人で、IC カードも使えない所でした (写真右)。
小雨が降っていましたが、25分ほど歩いて亀山温泉の鄙びた宿に到着です (写真左)。ベランダから亀山湖が見えます (写真中)。周辺を散歩しましたが、ひっそりとしていました。宿泊者はなんと私一人、貸切でした。温泉にゆっくり浸かった後、夕食です。猪鍋を追加で頼みました (写真右)。クセもなく美味しくてお腹パンパンになりました。朝もすごくゆっくり時間が流れ、癒されました。
翌朝、自転車を借りて観光へ。綺麗な桜が見られ (写真左)、快晴でした (やっぱり私は晴れ男!?)。お目当ては濃溝の滝です。キャッチコピーは「まるでスタジオジブリの世界」。この辺りは農地が少ないので、大きく迂回していた川をショートカットさせて人工的に掘られた洞窟の中を通し、元の川部分を水田として利用したのだそうです(これを川廻しと呼ぶそうだ)。遊歩道が整備され、幸運の鐘も設置されていますが、向こう側には行けませんでした (写真中右)。
帰りに、電動アシストがあってもきつい坂を登り、三石山のてっぺんへ (写真上左)。真言宗の立派なお寺がありました (写真上中右)。2時間半ほどの自転車の旅を楽しんだ後、列車は午後2時半までないので、亀山湖周辺で1台しかないタクシーを予約していて、久留里へ。名水の里だそうです (写真下左中右)。久留里駅から久留里線 (中は下校時の高校生でいっぱい) に再び乗って木更津に戻り、海浜幕張に向かいました。
また飛んで、24日 (月)〜26日 (水) は秋葉原で AMED-CREST の領域会議。最新の情報をたくさん聞かせていただきました。帰り、「秋葉原、桜」で検索すると神田明神が出て来たので行ってみました。立派なお社ですね。桜は1本咲いていただけでした。
3月は色々と忙しかったですが、4月から高等硏究院2年目に突入です。
田中啓二先生追悼行事
プロテアソームの発見以降、「タンパク質の分解」研究分野の世界的な牽引者であられた田中啓二先生が、昨年7月23日に75歳の若さでご逝去されました。2月1日 (日) 午前中に東京科学大学で追悼シンポジウム、午後から東京ガーデンパレスで偲ぶ会が開催されました。
シンポジウムでの7人の講演を拝聴し、改めて田中先生が成し遂げられたサイエンスの偉大さに感じ入りました。特に、多数の後進研究者を育成されたことに最大の敬意を表します。お酒が大好きな明るいキャラクターで、多くの人々を魅了された一生でした。大隅良典先生 (2016年ノーベル生理学医学賞受賞者) をはじめとして同世代の方々と「7人の侍」を結成され、各地で講演されたこともよく知られています。京産大の潮田さんが京都で小胞体ストレス研究会を主催した時に「最後の7人の侍講演会」を企画したのですが、コロナ禍で実現しなかったのはとても残念でした。
私の2回生向け細胞生物学の講義では、もちろん「タンパク質の分解」を取り上げましたし、田中先生と大隅先生のご業績を紹介しました。さらに、田中先生から直接伺った裏話を多数散りばめており、学生にとってとても面白い講義になっていると自負しています。昨年3月に大学院理学研究科を定年退職しましたので、今年度に通常講義は全く行っておりません。ですが、定年退職した名誉教授であっても学生のためになるなら講義して良いという制度が理学研究科にでき、その第1号として私が選ばれて、来年度の前期に細胞生物学の講義を2回担当します。何を担当したいですかと尋ねられ、シャペロンやタンパク質の品質管理ではなく、「タンパク質の分解」を担当したいと即答しました。今後も機会のあるかぎり田中先生のご業績と研究へのご姿勢を伝えていきたいと考えています。ご冥福を心よりお祈りいたします。
謹賀新年2025 & 平安神宮奉納
皆様、明けましてめでとうございます。本年が良い年でありますように切に願っております。
1月12日 (日) 午前中に開催された恒例の新春平安神宮奉納剣道錬成大会に小中学生 300 人強と元立指導者 60 人強が参加し、元気に稽古に励む姿を見せてくれました。
少年剣道 洛西大会
今シーズン最後の大会として11月30日 (土) に武道センターで第46回洛西地区少年剣道錬成大会が開催されました。小学5年生の部で尾原丈瑠君が第3位 (左)、中学2・3年生の部で中3の笹川樹君が第2位 (右) となりました。共に初メダルです。おめでとう!運・鈍・根。何事も続けることが大事です。特に樹は引退試合での快挙、最後を飾ることができて本当によかった。ただし、団体戦で3位入賞を狙っていたので、そこはちょっと残念でした。来年に向けての課題です。