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研究室旅行 & 中野先生 & APPW2025
今年度の研究室旅行は、3月8日 (土) 9日 (日) に恒例の高取山で行いましたが、京大生命科学研究科の小田裕香子 (森研3'期生) 研究室と神戸大バイオシグナル総合研究センターの蜷川暁 (森研7期生) 研究室との初の合同研究室旅行として行いました。土曜日に宿泊ということもあり、うちの多数のOBが参加してくれました (OGは1人のみ)。
いつものように、滝ノ宮体育館で運動した後にBBQです。今回、ヤマムラ屋が全店閉店したというショッキングな出来事があり、どこで肉を買うか、あれこれ検索し、下見にも行ったりしましたが、結局、精肉店ハナヒサの直売所 (桂にある) で購入しました。事前予約ができ、土曜日に行くと受取りと支払いだけで済み、楽でした。タン・ハラミ・カルビ・鶏肉を3 kgずつ購入しましたが、どれも肉厚で美味しいと好評でした。大量の肉と野菜がみんなの胃袋に収まりました (写真左中)。最後の学生である黒須航太郎君が4月から名古屋大学医学部に編入学するので送別会を兼ねました (写真右)。9日中に埼玉県の和光市に着かないと行けないので、朝食後に解散しました。
10日 (月)、小胞輸送・膜交通の分野を長年にわたって牽引されてこられた中野明彦先生が理研のラボを閉じられることとなり、記念シンポジウムと最終講演会が理研で朝10時から開催されました。最終講演会では3時間近く、思いの丈をお話しされました。18時から池袋のホテルでパーティ。大隅先生、永田先生がご挨拶され、宴たけなわで奥様のピアノ伴奏に合わせてクラリネットを演奏されました。素敵ですね。奥様とはマニラで開催された学会でお会いしています (2011年2月)。
中野先生との1番の思い出は、1996年12月に雨のサンフランシコで開催された ASCB 学会シンポジウムで宿敵 Peter Walter と初の直接対決―私が三方原の戦いと称しているもの―をした際に、自説に自信があるなら頑張れと励ましてもらったことです。おかげで、トリとして負けを覚悟で立ち向かうことができ、今日の私があります。ありがとうございました。本当にお疲れ様でした。
11日 (火) の午後から、西新宿で開催された上原賞授賞式に出席しました。長らく欠礼していたのですが、今回は知己の柚崎通介先生 (慶應大)、神取秀樹先生 (名工大) が受賞されたので、お祝いに駆けつけました。お二人とも素晴らしい受賞講演をされました。おめでとうございます。
飛んで、18日 (火) の午前中に、APPW2025 (解剖・生理・薬理学会初の三学会合同大会) にて依頼されたプレナリーレクチャーを行いました。何を話そうか迷っていたのですが、直前にこのトークが録画され、会員に配布され、文字に起こして学会関連雑誌に載せることを承認する契約を結ぶと言われたので、unpublished data は話せず、ERAD の話をしました。三学会員の方々にとって馴染みのない分野だと思いますが、参考になったのなら幸いです。最近、ノートパソコンとプロジェクターの接続が不安定で、修理したのにまた接続が切れ、動揺を抑えられませんでした。まだまだ未熟ですね。その夜には懇親会が開催され、懐かしいてお顔に出会って旧交を温めました。
少し前に、JR 東日本の久留里線が廃線になる予定 (震災以外初だそう) だとのニュースが流れました。プチ乗り鉄の血が騒ぎ、APPW2025 (幕張メッセが会場) の前に行くことにしました。16日 (日) 東京から木更津に行き、久留里線に乗りました (写真左中)。1時間強の旅です。ゆっくりとした時間が流れました。終着駅の上総亀山駅は無人で、IC カードも使えない所でした (写真右)。
小雨が降っていましたが、25分ほど歩いて亀山温泉の鄙びた宿に到着です (写真左)。ベランダから亀山湖が見えます (写真中)。周辺を散歩しましたが、ひっそりとしていました。宿泊者はなんと私一人、貸切でした。温泉にゆっくり浸かった後、夕食です。猪鍋を追加で頼みました (写真右)。クセもなく美味しくてお腹パンパンになりました。朝もすごくゆっくり時間が流れ、癒されました。
翌朝、自転車を借りて観光へ。綺麗な桜が見られ (写真左)、快晴でした (やっぱり私は晴れ男!?)。お目当ては濃溝の滝です。キャッチコピーは「まるでスタジオジブリの世界」。この辺りは農地が少ないので、大きく迂回していた川をショートカットさせて人工的に掘られた洞窟の中を通し、元の川部分を水田として利用したのだそうです(これを川廻しと呼ぶそうだ)。遊歩道が整備され、幸運の鐘も設置されていますが、向こう側には行けませんでした (写真中右)。
帰りに、電動アシストがあってもきつい坂を登り、三石山のてっぺんへ (写真上左)。真言宗の立派なお寺がありました (写真上中右)。2時間半ほどの自転車の旅を楽しんだ後、列車は午後2時半までないので、亀山湖周辺で1台しかないタクシーを予約していて、久留里へ。名水の里だそうです (写真下左中右)。久留里駅から久留里線 (中は下校時の高校生でいっぱい) に再び乗って木更津に戻り、海浜幕張に向かいました。
また飛んで、24日 (月)〜26日 (水) は秋葉原で AMED-CREST の領域会議。最新の情報をたくさん聞かせていただきました。帰り、「秋葉原、桜」で検索すると神田明神が出て来たので行ってみました。立派なお社ですね。桜は1本咲いていただけでした。
3月は色々と忙しかったですが、4月から高等硏究院2年目に突入です。
田中啓二先生追悼行事
プロテアソームの発見以降、「タンパク質の分解」研究分野の世界的な牽引者であられた田中啓二先生が、昨年7月23日に75歳の若さでご逝去されました。2月1日 (日) 午前中に東京科学大学で追悼シンポジウム、午後から東京ガーデンパレスで偲ぶ会が開催されました。
シンポジウムでの7人の講演を拝聴し、改めて田中先生が成し遂げられたサイエンスの偉大さに感じ入りました。特に、多数の後進研究者を育成されたことに最大の敬意を表します。お酒が大好きな明るいキャラクターで、多くの人々を魅了された一生でした。大隅良典先生 (2016年ノーベル生理学医学賞受賞者) をはじめとして同世代の方々と「7人の侍」を結成され、各地で講演されたこともよく知られています。京産大の潮田さんが京都で小胞体ストレス研究会を主催した時に「最後の7人の侍講演会」を企画したのですが、コロナ禍で実現しなかったのはとても残念でした。
私の2回生向け細胞生物学の講義では、もちろん「タンパク質の分解」を取り上げましたし、田中先生と大隅先生のご業績を紹介しました。さらに、田中先生から直接伺った裏話を多数散りばめており、学生にとってとても面白い講義になっていると自負しています。昨年3月に大学院理学研究科を定年退職しましたので、今年度に通常講義は全く行っておりません。ですが、定年退職した名誉教授であっても学生のためになるなら講義して良いという制度が理学研究科にでき、その第1号として私が選ばれて、来年度の前期に細胞生物学の講義を2回担当します。何を担当したいですかと尋ねられ、シャペロンやタンパク質の品質管理ではなく、「タンパク質の分解」を担当したいと即答しました。今後も機会のあるかぎり田中先生のご業績と研究へのご姿勢を伝えていきたいと考えています。ご冥福を心よりお祈りいたします。
謹賀新年2025 & 平安神宮奉納
皆様、明けましてめでとうございます。本年が良い年でありますように切に願っております。
1月12日 (日) 午前中に開催された恒例の新春平安神宮奉納剣道錬成大会に小中学生 300 人強と元立指導者 60 人強が参加し、元気に稽古に励む姿を見せてくれました。
少年剣道 洛西大会
今シーズン最後の大会として11月30日 (土) に武道センターで第46回洛西地区少年剣道錬成大会が開催されました。小学5年生の部で尾原丈瑠君が第3位 (左)、中学2・3年生の部で中3の笹川樹君が第2位 (右) となりました。共に初メダルです。おめでとう!運・鈍・根。何事も続けることが大事です。特に樹は引退試合での快挙、最後を飾ることができて本当によかった。ただし、団体戦で3位入賞を狙っていたので、そこはちょっと残念でした。来年に向けての課題です。
臨床ストレス応答学会@宮崎
11月1日 (金) 2日 (土) に宮崎市で開催された第18回日本臨床ストレス応答学会大会に参加してきました。朝9時30分伊丹空港発の飛行機に乗りました。自宅から1時間半あれば大丈夫という感覚だったので、7時30分発の嵐電に乗りましたが、なぜかこの日はモノレール大阪空港駅の到着が9時10分頃になり、搭乗口まで走りました。館内放送で呼び出されていましたが、なんとか間に合いました。冷や汗。
この学会に参加するのは本当に久しぶりです。丸1日強の日程でしたが、特別講演、シンポジウム x2、スイーツセミナー (お菓子をいただきながら)、ランチョンセミナー (昼食をいただきながら)、一般口演 x15、ポスター発表 x9 と盛り沢山で、エキサイティングな発表が多くあって充実した2日間でした。その中で、学部生の黒須航太郎君のポスター発表「遺伝性運動神経変性疾患 Seipinopathy の原因タンパク質である Seipin の無糖鎖型変異をノックインした細胞の解析」が若手研究奨励賞 (銀賞) に輝き、養王田学会長から表彰されました (写真右)。おめでとう。黒須君は私の最後の学生で、来年4月から名古屋大学医学部2回生に学士編入します。今後の活躍が楽しみです。
学会は2日の15時過ぎに終わり、この日から3連休ですので休暇を楽しみました。宮崎は車社会で、JR の本数が少なくて1時間に1本以下ですので、時刻表の事前確認が必須です。15時55分発の JR で青島に行きました。台風の影響でまだ雨混じりでしたので、この日はホテル (写真左) でゆっくり過ごしました。夕食は近くの牡蠣小屋で生牡蠣・鮑の刺身・海鮮・肉BBQを美味しくいただきました (写真中右)。
翌3日の朝6時に起きて、日の出を部屋から見た後 (写真上左)、朝食をとり、パワースポットと言われる青島を巡りました。この日は一日中快晴でしたが、青島周辺は風が強く、荒波が打ち寄せていました。橋を歩いて渡れる青島は周囲1km ほどの小さな島で、手軽に1周できます (写真上中右)。中心部に青島神社があり、亜熱帯の植物が生い茂っていました (写真下左中右)。
すぐ近くに日向神話館があり、海幸彦・山幸彦の神話がろう人形とともに展示されていました。
9時38分発のJRで城下町・飫肥 (おび) に向かいました。江戸時代にタイムスリップしたかのような景観が保存されていて、静かな街並みとお城址を1時間余り散策しました (写真、下右は本丸跡)。
飫肥 は、日露戦争の後、ポーツマス条約を結んだ小村寿太郎氏 (司馬遼太郎先生の小説で読みました) の生誕の地 (写真左) ということで、郷土の英雄として顕彰されていました (写真中右)。とても小柄な方ですが、子供の頃から、学問を貪欲に吸収する秀才だったとか。
12時26分発の JR で南郷へ行きました。目的は観光列車・海幸山幸号に乗ることです。南郷は小さな町で、歩いてすぐのところにレストランがありました。とても繁盛していて、何が早いですかと聞いたらうなぎとのことでしたので、鰻重を頼んだら、それでも時間がかかって列車に遅れそうになったので、持ち帰りにしてもらいました。海幸山幸号は南郷13時52分発、宮崎15時31分着で1時間半の旅です。思っていたよりもずっと質素な外観でした (写真上左中、ちょっとガッカリ)。
南郷駅では予約した切符を受け取れず (みどりの窓口機械が設置されていないので)、車内でQRコードを見せろと言われてあたふた。JR 九州のウェブサイトのパスワードがわからなくなってしまい、QRコードを取得できた頃には一番綺麗と思われる海岸線の風景は終わっていました (残念)。ビールを頼んだら売り切れとのことで、焼酎を頼んで鰻重弁当を美味しくいただきました (写真上右)。車窓のお裾分けです (写真下左中)。くじ引きがあって、あたりを引き、キャンディー1個もらいましたが、子供じゃないからね・・・(写真下右)。
ホテルにチェックインしてゆっくり過ごし、夜は宮崎名物トリのモモ焼き (写真左) や飫肥天 (魚肉練りの素揚げ、薩摩揚げより甘かった、写真中) をいただいて宮崎観光を満喫、この日は2万歩以上歩きました。話は前後しますが、1日の昼に宮崎駅で食べた、チキン南蛮黒酢は美味しいのですが、ボリュームタップリで食べきれませんでした (写真右)。4日 (月) 11時20分宮崎空港発の飛行機に乗って帰りました。ゆっくりとした時間を過ごすことができ、良い気分転換ができたので、これから論文執筆に専念します。