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初インド、酵母生物学国際学会@コルカタ(旧カルカッタ)
9th International Conference on Yeast Biology から招待を受けて (往復の飛行機代は出してくれませんでしたが)、12月9日(水)から13日(日)までコルカタ (旧カルカッタ) に行ってきました。
初インドですので、衝撃はいくつもありました。学会で発表するためには VISA が必要なのですが、主催者側が半年前から申請しているにもかかわらず、なかなか書類が届きません。主催者側は何度もプッシュするのですが効果はなく、遂にもうこれ以上待てないという段階になって、主催者がニューデリーまで飛んで直談判してやっとギリギリで書類が届きました。インドでの商売は難しいと聞いていましたが、その一端を垣間見ました。
今回は、酵母から始めて大きく発展した小胞体ストレス応答の話をしてほしいというので招待を受けましたが、私の研究室ではもう酵母の研究は行っていませんので、学会自体にはあまり興味を持てず (後で述べるように別の目的がありました)、プログラムさえ印刷して行きませんでした。タイ航空を使い、関空午前11時発、バンコック16時着 (時差2時間で、飛行時間は6時間半程) まで良いのですが、コルコタ行きは深夜便しかなく、8時間近く待って午後11時半頃出発して翌朝午前1時前に着き (時差さらに1時間半で、飛行時間は2時間半程) でした。通常なら、宿泊先の情報をしっかり印刷して持っていくのですが、今回は主催者がボランティアの学生2人を迎えに行かせるというので、VISAもあることだし安心して、宿泊先情報を何も持たずに、迎えに来る学生2人の名前と連絡先だけを印刷して行きました。すると、入国カードに宿泊先の情報を書き込まないと入国させないと言われるのです。上記の説明をしてVISAが発行されいるではないかと主張しても全く聞き入れられません。困っていると (自分の携帯電話を海外で使う方法がわかっていなくて)、親切な係員が迎えの学生の携帯に電話をかけて情報を入手してくれたので、なんとか入国できましたが、冷や汗ものでした。彼らに出会ったのは午前2時頃でした。そこから車で連れて行ってくれてゲストハウスの部屋に入ったのは午前3時頃、関空のホテルを出発してから22時間が経っていました。
空港からの道路の舗装はみすぼらしく、土ぼこりが舞い上がる中を猛スピードで走ります。深夜なので信号もほとんど無視です。後でわかったことですが、ここではやはり渋滞がひどく、みんな少しでも先を急ごうとクラクションを鳴らし続けて車を走らせます。前後左右の間隔は本当にギリギリです。もし事故になったときにクラクションを鳴らさなかったじゃないかと文句を言われるかのように皆が鳴らし続けるので (車だけでなくバイクも)、昼間の会議中も鳴り続けるクラクションの音に閉口してしまいました。帰りにも空港まで車で送ってくれたのですが、まるで3Dゲームをやっているかのごとく追い越しを続けるので本当に肝を冷やしました。やはり貧富の差が激しいのは一目瞭然ですし、この国には住めないなあというのが実感です。
会議場は Indian Association for Cultivation of Science という研究所でした。左下の写真の正面奥が講演会場、右下の写真奥の白い屋根の下が食事会場です。
旅行会社の人から気温は30度近いと聞いていたので心配していたのですが、行ってみるとちょっと湿度が高いですが、気温はちょうど良い感じでした。部屋の天井のファンを緩く回すと気持ちよく寝ることができましたし、会議室の冷房も効き過ぎてはいなかったので、半袖で過ごすことができました。ただし、旅費をくれないのにもかかわらず人使いは荒く、午前3時に着いた木曜日の午後からのセッションの座長をさせられましたし、ポスター発表から優秀賞を選ぶ作業もさせられました。おまけに研究所なのでバーはなく、バーが備わっていない会議場での集会に参加する初めての機会となりました。バンコックの空港でお酒を買って行ってよかった。金曜日午前中の発表は招待講演なのに質疑を含めて30分しかもらえなかったので、大急ぎで酵母から、哺乳動物、マウス、メダカと進んでいった成果を話しましたが、とても好評だったようです。
食事はやはり毎度カレーで (インド人から見ると別メニューなのでしょうが、下左)、バンケットでもカレーでした (下中央)。下右の写真は招待講演者と主宰者の Das 夫妻。
コルカタでは他の地域と比べて魚をよく食べるそうで、フライにした魚が毎食でていました。生野菜を食べるとヤバいというので避けていたら、下痢はせずに済みました。バンケットでは招待講演者と学生は別の部屋に案内されました。バンケットの食事会場では酒を飲めない決まりになっていて、学生は酒なし、我々は1階上でつまみをいただきながら飲酒した後に会場で食事をいただきました。インドでは路上での飲酒は禁止されていて、レストランかバーに行かなければ飲酒できないのだそうです。路上には多くの露店がでていましたがアルコールは提供していないそうです。日本とは大違いです。
今回の渡航の大きな目的は、あるインド人学生と会って面接することでした。私の研究室の大学院生になりたいというメールは数多く届くのですが、米国と違って授業料や給与を払うことができないので、全員一律で日本政府の国費留学生大使館推薦に応募して奨学金を得るようにと返事します。ほとんどの場合それで縁切れとなるのですが、Ginto George君が1次試験に通ったから、2次試験も通ったら受け入れるという手紙を書いてほしいと連絡してきました。書いて送りましたが、残念ながら2次試験は不合格となりました。でも1次試験に合格したのなら見込みがあるかなと思い、今度コルコタに行くから面接を受けにくるかと尋ねたら行きますと返事してきたのです。会ってみると、ヒゲがもみあげとくっついていて、顔の周りが真っ黒な毛で覆われているというユニークな出で立ちでした。ちょっと発音に癖のある英語でしたが、熱心に話すし、生化学の実験はよくできて (修士課程終了後、2年程 junior research assistant として勤務しています)、うちにはいないタイプです。会場でも物怖じせずに質問するし、何よりgood scienceをして博士号を取りたいという熱い気持ちを持っているので、国費留学生大学推薦に挑戦することにしました。この競争もかなり厳しいのですが、うまくいくように書類作成に励みます。
会議ではプログラムが詰まっているし、みんな時間を守らずに長く話すので、中身がビッシッリでした。それでも木曜日夜には cultural program、現地の歌や踊りをいろいろと見せてくれました。
土曜日昼過ぎに会議が終了し、昼食後、出発 (なんと日曜日午前2時に飛行機が出発、バンコックを経て大阪には日曜日午後6時到着) までに時間があるので、ボランティア学生2人が4人の外国人招待者と一緒に市内観光に連れて行ってくれました。ビクトリア記念博物館、セントポール寺院等、英国支配時代の建造物を見た後、ガンジス川河畔へ来ました。この場所ではそれほど川幅は広くありませんでしたが、ゆったりとした流れでした。この日はちょっと暑くて汗だくになりましたが、中華レストランでいただいたインドビールは格別でした。
今回、タイ航空を使うとバンコックで8時間近い待ち時間があることはわかっていましたので、事前のプランではバンコック市内に出かける予定でした。ところが、テロの恐れがあるから観光地には行くなという外務省からの通達が来た上に、京大剣道部で2つ下の寺尾治彦君 (専門物理、奈良女子大学教授) が病気で急逝したとの連絡が奥様 (HSP研究所の同僚、名古屋大学教授) から日曜日に入るというとてもショッキングな出来事があり、このインド出張のために葬儀にも出られませんでしたので、空港でじっとしていました。京大剣道部で2つ上の医師藤沢先輩が言われた「50歳過ぎたらいつ死んでもおかしくないよ」が身に染みます。まだ中学生のご子息を残してさぞ無念でしょうが、寺尾君のご冥福を心よりお祈りします。