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長沙、今年2回目の中国

2018年10月23日

中国衰老 (老化) 学会からの招きで、10月18日 (木) 〜21日 (日) に内陸部の長沙 (ちゃんしゃ) へ行ってきました。地方都市でも人口は100万人をゆうに超えるそうで、高層ビルが建ち並び、さらに多数建築中で (放置されていそうな古いビルも結構見受けられましたが)、中国の勢いを感じました。関空からの直行便は毎日は飛んでいなくて、行きも帰りも北京経由でした。3時間ほどのフライトが2回なので、それほど大変ではありませんでしたが、4つの便ともほぼ満席でした。

滞在したホテルも立派で (写真下左)、そこからチャーターバスですぐの病院 (多数の大学院生が在籍しているそうです) の講堂で学会は開催されました (写真下中)。老化研究はまだマイナーのようで、参加者はさほど多くはありませんでしたが、熱気を感じました。中国人の発表はほぼマウスの実験結果で (応用を考えているためか、動物としてはマウスを使う研究でないと研究費がもらえないそうです)、表現型解析が中心でしたが、レベルは着実に上がっていますね。1人 (米国で研究中) がゼブラフィッシュの解析結果を話しました。

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計8人の外国人が招待されていて、老化研究の初心者としては学ぶことが多くありました。私の講演は、土曜日のトップとして朝8時から1時間でした。いつも通り、小胞体ストレス応答研究の30年を纏めて話し、最後に老化研究の話で締めくくったらとても好評でした。土曜日の夜にはバンケットが催され (写真上右)、例の‘白ワイン’もテーブルの上に置かれていましたが、ここの方々は無理強いをせず、赤ワインを楽しみました。3食とも中華料理でしたが、日本の中華料理屋ではあまり出てこないものが多く、美味しくいただきました (やはりボリュームはすごいですが)。この辺りの料理は辛いのが特徴だそうで、時々突然超辛いものが口のなかに飛び込んできて咳き込んでしまいましたが、堪能しました。ホテルの朝食では、幅広麺と細麺を選べるスープ麺が特に美味しかったです。学会は金曜日の午後から日曜日の夕方までなのですが、月曜日の2限に講義があるため、日曜日の朝に現地を発ちました。総じて来てよかったなという印象です。

空港でのピックアップから最後の空港でのチェックインまで、深津絵里さん風の大学院生が付いてくれて楽でした。勿論、彼女は運転をしません。発展途上国 (都市) の特徴で運転が荒く、クラクションがしょっちゅう鳴っていました (寝ているときもうるさいくらい)。彼女は初めての経験なので緊張していると言っていましたが、よく気がつき、よく小さく笑う娘でした。マウスの実験で炎症の研究をしていて中々論文ができず大学院生を7年もしているとのことです。生活費は病院が出してくれているそうです。日本と違って、中国では大学院生への手当が厚い!やばいです。

金曜日の午前中は空いているので、インターネット検索で得た岳麓山 (中国五岳のひとつ) に行く時間があるかと聞いたら、彼女が連れて行ってくれました。地下鉄で行くのかと思ったらタクシーを呼んでくれました。今中国ではスマホでタクシーを呼び、QRコードを読み取って決済するのが普通になっていますが、これだと中国語が話せないとどこに来てくれるのかわかりません。流しはあまり走ってないそうで、中国語を話せない外国人には不便なシステムですね。

麓について、まずロープウエーで一気に頂上まで。といっても300 m の低い山ですが、歩いて登ると大変そうです。記念写真を撮ってから帰りは歩きました。気温もちょうどよく、心地よい散歩でした。麓に岳麓書院 (アカデミー、中国四大書院のひとつ) があって、見学しました。そういえば、ここは故毛沢東主席の故郷だとか。帰りも勿論タクシーです。彼女のおかげで気軽に観光できました。感謝。空港での別れ際に、論文頑張れと言っておきました。講演が大好評だったので、近い将来また中国にくることになりそうです。

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日曜日夜に関空に着いたら、ノーベル化学賞を2008年に受賞された下村脩先生が亡くなられたとのネットニュースが飛び込んで来ました。下村先生にお目にかかったことは2013年9月29日のブログに詳しく書かせていただいております。下村先生のご業績なしで今日の細胞生物学の発展はありえません。改めて感謝申し上げるとともに、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。


いつまで続く、平成末の大災害?

2018年10月01日

大阪北部地震、西日本豪雨、酷暑、台風21号、北海道地震、台風24号と、平成最後となった6月から大災害が続き、ブログを更新する手が止まってしまいました。お亡くなりになった方々の御冥福をお祈りすると共に、被災された方々にお見舞い申し上げます。ここで、この間にあった出来事を纏めて記載いたします。

6月18日 (月)、この日は京大の創立記念日であったため、まだ寝ていましたが、突然の縦揺れ。慌てて飛び起きましたが、揺れた時間が短かったので、私の周辺に幸い問題は生じませんでした。

7月5日 (木)、西日本豪雨が始まったこの日に、東京から矢原一郎先生が京産大へ講演に来られました。私は、研究科会議、専攻長会議があったためセミナーには残念ながら参加できませんでしたが、夜の懇親会に出席しました (この日から雨が降り出して、あんな大災害になるとは思っていませんでした。お許しください)。この分野のレジェンド達が集まり、賑やかな会でした。老いても盛ん、と言っては失礼ですが、皆さん話が止まらず、私はほとんど聞き役でした。

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左手前から、由良隆先生、遠藤斗志也先生、永田和宏先生、河野憲二先生、
右手前から、森正敬先生、矢原一郎先生、近藤寿人先生、吉田賢右先生、伊藤維昭先生

7月14日 (土)、私が7日 (土) に60歳の誕生日を迎えましたので、この日に研究室主催の還暦祝賀会 (森研究室20周年記念と合わせて) が京大の時計大ホールで行われました。赤いちゃんちゃんこ (陣羽織のようでしたので、許容範囲でした) を着せられましたが、赤い帽子は拒否しました。OB・OGも多数参加してくれました。60歳の誕生日を迎えたから急に何かが変化する訳はなく、数年前から体力の衰えを感じており、特に飲める酒量がめっきり少なくなってきています。それもこれも60歳のじじいだからしょうがないか、という心境です。長生きしてください、と声をかけられるような年になりました。

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8月26日 (日)〜29日 (水)、比叡山延暦寺会館で開催された国際シンポジウム「タンパク質:ゆりかごから墓場まで」に参加しました。25日 (土) から名古屋で開催された小型魚類研究会からの帰りでしたので、初めてケーブルカーにのって比叡山山頂へ。延暦寺会館では勿論精進料理だけ (懇親会も) でしたので、うーん・・・(文句を言うと罰があたります)。ピーターも奥さん連れで参加していたので、旧交を温めました。11月4日 (日) にサンフランシスコで開催されるブレークスルー賞授賞式で再会します。

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9月15日 (土)、この日の夜の便でイタリアのローマに飛び、国際会議 Glycobiology 2018に参加して、18日 (火) に口頭発表する予定でした。ですが、9月4日 (火) の台風21号襲来で関西空港の国際線発着滑走路が水没した後遺症が残っていて便が欠航となりました。大学院生時代以来のローマを楽しみにしていたのですが、多忙で疲れていてスケジュールが押していたので、海外出張がなくなってむしろ良かったかもしれません。

9月26日 (水) には、国立京都国際会館で開催された第91回日本生化学会大会で特別講演を行い、28日 (金) には岡山県立倉敷青陵高等学校 (母校) 創立110周年記念講演を行い、台風24号一過の今日 (10月1日)、心穏やかに過ごしています。


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