Gordon Research Conference “Stress-Induced Gene Expression”

2003年07月27日
2003年7月27日から8月1日まで、英国オックスフォード大学にて行われたGordon Research Conference "Stress-Induced Gene Expression"に参加した3人より

吉田秀郎

この学会はNic Jones (Paterson Institute) がオーガナイズしたもので、タイトルにある通り種々のストレス (熱ショック、寒冷ストレス、浸透圧、低酸素、小胞体ストレス、酸化ストレス、重金属、DNA損傷、飢餓等々)による 遺伝子発現の制御機構に関する講演が各分野の第一人者によって行われた。扱われる生物種も高等動物から酵母、 植物まで多岐にわたり、この分野の最新の情報を幅広く得ることができた。

小胞体ストレスのセッションでは、小胞体ストレス研究の黎明期から重要な発見を積み重ねてきている 森和俊(京大)、彼とは因縁の深いPeter Walter(UCSF)、そして近頃本質的かつ独創的な仕事を連発しているDavid Ron (Skirball Institute) という豪華な講演者が選ばれた。小胞体ストレス応答の研究もPERK・ATF6・IRE1経路が同定され、 基本的な制御機構がわかってきた。今後は、細部のより詳細な解析を進めるだけでなく、より大きい概念 (他のストレス応答機構との類似性やクロストーク、生体にとっての小胞体ストレス応答の意義などであろうか)を提起できる 研究を進める必要性をひしひしと感じた次第である。

灘中里美

オックスフォードはきれいな街でした。ゆるく蛇行した小道の両脇には歴史を感じるレンガや石の建物、 ちょっとしたスペースには花や緑であふれていました。学会は100人くらいの規模で、ちょうどよいように感じました。 また、若い方が活発に発言されていて、私もこの人たちのようになれればいいなあと思いました。

岡田徹也

英国オックスフォードで開催されるGordon Research Conference に出席するため、私は期待に胸を膨らませて英国へ出発した。オックスフォードは言わずとしれた学問の街であり、重厚で伝統ある雰囲気を味えそうだということで上機嫌だったのだ。英語での発表とディスカッションという大仕事も待っていたのであるが、今回が2度目ということもあって幾分気持ちに余裕があり、英国を楽しむぞという気持ちのほうが勝っていたのである。成田から12時間のフライトで無事ヒースロー空港に到着。空港に降り立った時には霧雨が降っていて、「ああイギリスに来たんだなー」と妙に納得してしまった。

オックスフォードは期待通りの品格ある街であった。大学関連の建物だけがずらっとならんだ重厚感溢れる町並みを想像していたが、オックスフォード駅近くにはガラス張りの美しいショッピングセンターや飲食店が並んでおり、伝統と流行がうまく入り交じった一面ものぞかせてくれた。ポスター会場および宿泊地となったクィーンズ・カレッジも日本の大学とは比較にならないほど綺麗な景観をしていて、中世を感じさせる雰囲気と美しく整備された芝生が印象的であった(写真参照)。

最後のセッションが終わった日、クィーンズ・カレッジの地下にあるパブでDavid Ron 研の Chi Y. YunとPhoebe D. Luの二人と話すことができた。二人とも私と同じくらいの年代の人達である。彼女達は私の貧弱な英語力に嫌な顔もせず、楽しく話してくれてとても有意義な時間を過ごすことができた。開口一番、「日本では研究室でもおじぎしながら挨拶するの?」と聞かれて面喰らってしまった。そんなことはないと答えたが、よくよく聞いてみるとRon研に来た日本人ポスドクが初日に最敬礼してラボに入って来たのだそうだ。お辞儀しながら挨拶するのは彼女達にしてみればとても面白い動作なようで、二人でとても可笑しそうにその話をしていた。Dr. Moriはラボではどう呼ばれているのかと聞かれたので、「森先生か森さんかな」と教えてあげると、帰り際に「モリさんサヨウナラ」と楽しそうに挨拶していった。明るくとても愉快な人達だった。自分と同じ分野のラボで研究している人達とこのような機会に話ができたのは、とても良い経験だった。Ron研から出される論文はもちろんよく読むので元々馴染み深いラボなのだが、実際にそこで研究している人と話すことができたことで、世界がよりリアルで身近に感じられるようになった。

最後に恥ずかしい思い出をひとつ。JALの飛行機で帰ったので客室乗務員は日本人だったのだが、「飲み物はいかがですか?」と聞かれて、「Water, please」と思わず英語で答えてしまった。”英語で話す”ことが頭から離れることがなかった一週間の笑える後遺症であった・・・。