Molecular Chaperones - The Heat Shock Response - 灘中里美の旅日記

2002年05月01日

Cold Spring Harbor Laboratory (New York),2002年5月1日〜5日

国際学会どころか海外旅行が初めてだったので、大きなトランクを引きずって家を出発したところから、国際線への搭乗手続き、円からドルへの換金など目新しいことのオンパレードで私の国際学会参加の旅が幕を開けました。

5/1伊丹空港を飛び立ち、途中成田空港で乗り換えて、JFK 空港まで13時間のフライト。離陸後、まず、機内サービスで飲み物がやってきました。簡単に通じそうな「Coffee」を頼み、目的のコーヒーを手にしてとりあえずはホッと一息つきました。日本上空を飛んでいる間は窓から外を見て、「あれって濃尾平野だっけ?」「あの川は何?」と少しハイテンションだったのですが、そのうち高度が上がってきて雲しか見えなくなるとともに落ち着きを取り戻しました。空の旅は思ったより快適で、比較的よく眠れました。いつのまにか日付け変更線を越え、アメリカ合衆国の上空へ。空から眺める風景も日本と違います。これがアメリカなのか?(またまたテンション上昇中)。

飛行機を降り、入国審査を終え、空港からコールドスプリングハーバーラボラトリー (CSHL) まではバスで約1時間半。CSHL は閑静な緑の多いとてもきれいな場所でした(後に、閑静→人里離れた→辛くてもそう簡単には逃げだせない---という意味があることが判明)。少し肌寒く薄手のセーターを着て丁度いいくらいです。

受付で要旨集と参加証を受け取り、宿泊場所の説明を受けました。私は CSHL 内のキャビン(Eagle という名前が付いてました)でルームメイトがいるようです。ルームメイトは阪大のタンパク研の方でした。日本人だったのですが、帰国子女なので流暢な英語を話されました(せっかくの機会なので外国の方と一緒になるのがいいそうです。朝から夜寝るまで英語英語英語で徹底的に自分を痛めつけちゃうのがいいんだそうです)。

CSHL meeting はプログラムが密に組まれていて、朝9時に始まり、質疑応答が延々と続くこともあって下手をすると夜11時過ぎまで続き、座っているだけでクタクタになりました。とにかく英語が速い!英語が母国語でない人への優しさが全く感じられない速さでした。スライドを見て、耳に入ってきた単語と組み合わせながら意味を汲み取ってメモしていく事をできる範囲でやりました(というのも帰ってから
学会報告が課せられていたからなのです)。一日も終わる頃には私の頭は完全に容量オーバーしヒューズがとんでしまいました。聞きしに勝るハードさです。講演では活発に質議応答がなされていました(日本では分子生物学会が活気があると聞いていますが、それ以上でした)。ある分野での大御所が若手の研究者に向かって「君の理論は素晴らしい!ところで(君の理論って)何だったんだ?」というようなコメントをしていたりして、これが噂に聞く若手イビリなのかと思いました。

聞くところによると、今回の口頭発表者は、おエラ方ではなくポスドクや院生といった若手の人が多かったそうです。CSHL で口頭発表して認められるということが一つのステータスとなっているようです。ポスター発表では会場に入るだけで人いきれで熱いくらいの活気です。少しくらいは scientific な会話も英語でせねば---と会場内へ突入しました。一通り見て回った後、一旦会場から出て、ノートの上で質問を英語で書いてみて、口に出して練習してから、目的のポスターへ、いざ、出陣!。

こちらの言うことは通じても、細かいことが聞き取れない。だから、1つの話題で長い間話すことはできませんでした。こみいった質問もできなかったんですが、貼ってあるポスターを利用して、指を差したり、ジェスチャーも交えながら健闘はしました。とりあえず、初めに考えていった質問の答えは理解できたと思います。こうやって聞いていると、「あなた、何をやってるの?どこの人なの?こういうことに興味あるの?」と聞かれます。そこで「ATF6 について研究しています」というと、「ああ、 Dr. Mori のところなのね」と納得され、森先生の認識度の高さに驚きました。日本人が日本で知られているのはわかるような気もしますが、国際的に「名前」と「顔」と「研究内容」とが一致して認識されているのは限られた人たちだけのように思います。CSHL で発表されている人たちは、自分自身がいつの日かそういった限られた人たちの中に入り、その分野の中心で活躍したいという夢をもって会に臨まれているような気がしました。森先生はそういう夢をもって CSHL に赴き何年もかけて苦労されながら自身の研究でプライオリティーを勝ち得た生き証人なんですね(詳しいことをお知りになりたい方は森先生が執筆されたシャペロンニュースレター (1997) vol. 1, p. 12-15, 同じく(1998) vol. 2, p. 15-17を御参照下さい)。私は三十路を越えて、初めての国際学会を体験しました。研究を志す学生の皆様へ。できれば20代の、頭が柔軟で、かつハングリーさも持ち合わせている、そういう時代に外国に出られるのがいいと思います。憧れの、将来の目標をそこに見つけることができるでしょう。そして、心の隅の野心に密やかに火を灯し、目標に向かって邁進し、いつの日か世界の舞台の中央に立って下さい!