研究内容

森教授 2014 ラスカー基礎医学研究賞受賞

ショウ賞受賞の知らせがあってから約1ヶ月後の6月24日(火)に Message from Joe Goldstein, Chairman of Lasker Jury という e-mail が Goldstein 博士 (1985年のノーベル賞医学生理学賞受賞者で、現代世界最高の生命科学・医学研究者) の秘書さんから送られてきていて、添付書類を開くと何と、Kazutoshi、貴方と Peter Walter が 2014年ラスカー基礎医学研究賞の受賞者に決まったと書いてあるではないですか! 小胞体ストレス応答研究はついにここ (銀メダル) まできたかという驚き (信じられない気持ち) と感慨でボーっとしてしましました。

授賞式は9月19日(金)にニューヨークで行われるということは、ショウ賞受賞式の直前の週です。ショウ賞とラスカー賞のダブル受賞で盆と正月がいっぺんに来たような忙しさの始まりでした。おまけに、ショウ賞受賞はすぐに公になったのに対し、ラスカー賞の場合は9月8日(月)のラスカー財団による公式発表まで極秘にすることという制約まで付いてきました。

まず財団会長の Claire Pomeroy 博士からお祝いの電話をもらい、その後インタビューの連続でした。Susan Hadary という方(オスカー賞のビデオも作成されておられるとか)から受賞内容を短く纏めたビデオを作るからインタビューを受けるようにとの指示があり、7月29日(火)に東京在住の米国人カメラマンが奥さんとやってきました。質問を事前に送ってくださいと言っていたのに、送られてきたのは25日(金)で、それから返答を書いて英文校正をしてもらったら覚える時間がなくて、カンペ見ながらの撮影となりました。色々と答えたのですが、余り見栄えがしなかったのか、出き上がったものを見ると Peter が受賞内容を蕩々と説明し、私が時々登場するという構成になっていました。おまけに私の発言には英語の字幕付き。Peter の英語も結構癖があると思いますが、東洋人の発音を理解するのは難しいのでしょうね。

次いで Evelyn Strauss さんという財団と契約しているライターがコンタクトを取ってきて、受賞内容を記事として纏めるためにまず1時間ほど電話で話し、後はメールでやりとりをしました。彼女が最も聞きたいことは、何故貴方にできて他の研究者にはできなかったのかということで、時にはパワーポイントで図を作って説明しました。1ヶ月くらいかかってこれが終わると、続いて Nature Medice Journal of Clinical Investigation、Lancet とインタビューが続き本当に大変でした。

9月8日(月)ニューヨーク時間午前9時(日本時間同日午後10時)の公式発表を受けて、9日(火)午後1時から京大本部で記者会見を行うこととなり、この準備もまた大変でした。極秘というのに、いったい何通の Lasker というタイトルが付いたメールが飛び交ったでしょうか。9日(火)の朝刊に受賞が報道され、多くの記者・テレビクルーが記者会見にやってきて対応したら、それがテレビで報道されたではないですか。一躍時の人となってしまいました。これが銀メダルのご威光なのでしょうね。

Lasker1 授賞式の前日9月18日( 木)に歓迎の夕食会があり、となりに座られたのはハワードヒューズ財団のトップ Bob Tjyan 博士でした。何と転写の基礎研究者が6年前から理事長を務められておられるのでした。彼との会話は本当に楽しくて、翌日の授賞式のあとのぶら下がりで、基礎研究の重要性を理解していただきたいと叫んでしまいました。この様子も放映されましたね。
 

Lasker2 ショウ賞授賞式と連続となってトンボ帰りになってしまいますので、今回は家族を同伴せず、恩師の川嵜敏祐・伸子ご夫妻、由良隆先生 (遅れて来られ写真には写っていません) 、アメリカのお母さん Carol Gross UCSF教授、吉田さん、岡田さん、蜷川君、石川君に出席していただきました。Mary-Jane Gething & Joe Sambrook  教授にも招待状を送ったのでが、Joe の健康状態が悪く出席してもらえませんでした。Mary-Jane が9日朝に電話をくれ、久しぶりにお話ししました。Joe も弱々しい声でしたが、おめでとうといってくれました。


歴史と伝統のあるピエールホテルでの授賞式当日、朝食を兼ねて選ばれた学生やポスドクと2時間ほど discussion し、写真撮影の後、カクテルパーティ (私はお酒を飲みませんでしたが) 、おごそかな授賞式&昼食会へと進みました。

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受賞講演はなく、短いスピーチのみで、事前に原稿を書き見てもらっていたので気が楽でした。3つの happy meetings という内容でお話ししましたが、結構ウケは良かったようで、ホッとしました。

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浮かれてはおられません。今後の精進が益々重要となりました。

森教授 2015 トムソン・ロイター引用栄誉賞

citation-1 昨年9月24日に、2015年トムソン・ロイター引用栄誉賞が私に授与されると発表されました。いわゆるノーベル賞予測です。「基礎研究者にとっての無上の喜びは、刊行された自分の論文がたくさんの研究者や大学院生に読まれ、長きにわたって引用されることですから、トムソン・ロイター社より引用栄誉賞をいただくことは格別に嬉しく、また名誉なことであります。今後も、長く多数回引用される良い論文を書いて発表していくことを第一に考えて研究に邁進する所存です。ありがとうございました。」とのコメントを出しました。

賞状をいただけるとのことでしたが、引用栄誉賞のアナリスト David Pendlebury 氏 (右写真) の日程調整が難しく、本年6月1日 (水) の正午から、授賞式を私の研究室でしていただくことができました。Thomson Reuters Citation Laureate, Physiology or Medicine と書かれています。
1999年の MBC 論文 (ATF6 活性化機構の解明) が1,000 回以上、2001年の Cell 論文 (XBP1 活性化機構の解明) が 2,000 回以上引用されているからだと思っていましたが、
citation-2 1つや2つの論文ではなく、多数の論文のパッケージとして引用がとても素晴らしいと David が言ってくれたことを嬉しく思いました。

棚橋佳子取締役から花束をいただきました。Jon Stroll ディレクター、波多野薫マネージャー、熊谷美樹マネージャーを含めて、12時半から1時間半ほど昼食を一緒にして楽しい一時を過ごしました。

一般向け本の刊行が終わりましたので、論文執筆に戻ります。

森教授 2016 恩賜賞・日本学士院賞受賞

6月27日 (月) に東京上野の日本学士院で行われた今年の恩賜賞・日本学士院賞の授賞式に出席しました。第1回は明治44年 (1911年) に授与され、日本の学術賞としては最も権威のある賞です。当日9時頃に会場に到着し、モーニングを着用して、まずはしばし歓談です。過去の受賞者の多くの方々が出席されていました。真ん中の写真奥右手はノーベル化学賞受賞の野依良治先生。右の写真の中央はフィールズ賞受賞の数学者森重文先生。山中伸弥先生も来られていました。

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前日に授賞式のリハーサルが行われ、また10人の受賞者がそれぞれのブースに展示物を並べました。私は、重かったですが、ガードナー賞とラスカー賞のトロフィーを持って行き、展示しました。10時半過ぎに天皇皇后両陛下がこの展示室にお見えになり、各自1分間のご説明と2分間の御下問に対する回答時間がありました。それでも10人を回ると30分以上かかりますし、ご姿勢を全く崩されませんので、やはりご負担はとても重いと拝察いたしました。私は、朝日賞受賞時に作ってもらったパネルを使ってご説明しました。熱心に聞いてくださいました。最後の写真、皇后陛下は私の生命科学入門書をご覧になっておられます。この仕組みを使って抗がん剤の開発にも取り組んでおりますと申し上げますと、人の役にも立つのですねと天皇陛下からお言葉を賜った記憶しています。

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11時半から授賞式が行われ、両陛下ご臨席の中、杉村隆学士院長から学士院賞 (賞状とメダル) をいただきました。別途、恩賜賞として、賞状と菊のご紋付きの花瓶を賜りました。12時頃から1時間ほど祝賀パーティーがあって、学士院での行事は終了となりました。

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Imperial19 午後2時過ぎから、10人の受賞者と3人の新会員は皇居に赴き、宮中茶会に招かれました。茶道の作法をしりませんので、どうしようかと思っていましたが、実際は遅い昼食会で、3時半頃からフランス料理が5品出てきました。テーブルは5つ。配置表をみると、私の目の前に両陛下がおられて大緊張。わかったことは、歓談しながら1品を約15分かけていただき、終わると皇族方がテーブルを移動されることでした。両陛下には午前中の続きの研究の話をさせていただきました。次は侍従長ご一行、宮内庁長官ご
Imperial20 一行、秋篠宮殿下妃殿下、最後に皇太子殿下の順番で計1
時間半歓談させていただきました。貴重な経験でした。

行事はまだ続き、6時半から帝国ホテルにて馳浩文部科学大臣主催の晩餐会に招かれました。和食の軽いコースでした。村松友視著「私、プロレスの見方です」を愛読した私ですので、大臣と同席できてとてもうれしく思いました。たったの10ヶ月で大臣交代となったのはとても残念です。研究と教育の現場に非常ベルが鳴っているとご発言されていましたので。無念の涙が印象的でしたね。

8時頃に終了してかなりヘトヘトでしたが、翌日の2限目に細胞生物学の講義がありますので、東京駅まで送ってもらい帰京しました。本当にとってもながーい1日でした。

森教授 2017 ブレークスルー賞生命科学部門2018受賞

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ケイティ・レデッキー (一番左):米国の自由形競泳選手で、ロンドン五輪とリオ五輪で5個の金メダルを獲得、東京五輪を目指している。Peter と私の受賞のプレゼンターを務めてくれた。
スーザン・ウォジッキー (一番右):ユーチューブ CEO、アンの姉、グーグル広告商業部門元副社長。
アン・ウォジッキー (右から2番目):パーソナルゲノム解析会社 23andMe CEO、前夫はグーグルの共同設立者セルゲイ・ブリン氏。スポンサーの一人。若さと美貌に加えて超お金持ちな姉妹です!

7月28日 (金) に出勤すると、Dr. Michael Hall (スイスの分子生物学者、target of rapamycin, TOR, の発見者として著名で、今年のアルバート・ラスカー基礎医学研究賞を単独で受賞) から「important」というタイトルのメールが届いていて、電話番号を教えろと書いてあるではないですか。直ぐに返信すると、その日の夕方に電話がかかってきて、「貴方が今年のブレークスルー賞受賞者に決まった、12月3日の授賞式に絶対に出席すること、それまで受賞を極秘にすること、賞金は 3 million dollars だ!」。この賞の存在は知っていましたが、なんという電話内容でしょうか。ビックリ仰天。

その後事務的なやりとりが始まりました。ラスカー賞受賞時と比べて、科学雑誌からのインタビューはなかったのですが、授賞式で映すビデオ収録に協力することが義務でした。まだ残暑が厳しい9月1〜3日にロンドンからクルーがやってきて、スタジオを借りてのインタビュー、右京署内の剣道場、思い出の場所としての曼殊院 (大学院生の頃修学院に住んでいて、時々、一乗寺下り松・宮本武蔵の決闘の地〜詩仙堂〜曼殊院のあたりを散策していました) 、最後に植物園で撮影が行われました。

さて時は過ぎ、12月1日 (金) 2限の講義を終えた後、関空へ向かい午後6時の便でサンフランシスコヘ出発。同日の午前11時に到着すると車で迎えに来てくれていて、シリコンバレーのフォーシーズンズホテルへ直行 (30分程)。この日はゆっくりと過ごし、夕食にステーキをいただきましたが、パンにバルサミコ酢がついてきました。この辺りの人はやはり健康に気を付けているのでしょうか。

2日 (土) 朝8時から写真撮影とインタビュー (事前に質問事項をもらっていたので簡単でした)。アン・ウォジッキーさん主宰の昼食会に、受賞者全員 (数学2人、物理学5人、生命科学5人) で参加。サイエンスの進歩によって人間社会はより良くなる、次世代の若者達のロールモデルになって欲しいとのお言葉でした。その後、授賞式が行われる NASA エイムズ研究センターへ行ってリハーサル。

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夜は財団創設者の一人・ユリ・ミルナーさん (下左) の山の上の大豪邸に招かれての夕食。下中、賞のトロフィーにも使われている財団のシンボルマーク。ぼけていますが、昨年ノーベル賞とブレークスルー賞を受賞された大隅先生ご夫妻もご参加、ちょっと坂を登るのにもカートを使用とは (下右)。

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3日 (日) 、ローレン・パウエル・ジョブズ (アップルの共同設立者の一人である故スティーブ・ジョブズ氏の元配偶者) 主宰のご自宅でのブランチに受賞者全員で参加。午後は少しゆっくりした後、授賞式はブラックタイ・パーティなのでタキシード (この日のために新調しました!) に着替えて午後3時にホテルを出発。レッド・カーペットの上を歩いて入場 (下左)、Peter と記念撮影 (下中)、レセプション (下右)。続々と人が入ってきますが、勿論知っている人はわずか。有名人の社交場のようです。

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俳優のモーガン・フリーマンさんの司会でおごそかに授賞式が始まり (下左、式終了後に握手をしてもらいました)、物理学→生命科学→数学と進んでいきましたが、テレビ放映のためにコマーシャル休憩がしょっちゅう入り、時間がかかったので緊張がどんどん高まっていきました。私の席の隣りには楽天の三木谷社長が座られ、お話しできました。それぞれの受賞者に俳優などのプレゼンターがつくのですが、Peter と私の場合、「サイエンスもレースとなる」がテーマとなってレデッキーさんが選ばれて「アスリートには競争相手が必要、ライバルの存在が自分の限界以上のものを引き出してくれる」とスピーチした後 Peter と私の紹介ビデオが放映されました (下中)。Peter のイントロの直ぐ後に少年剣道の稽古風景に変わり、Peter との厳しい競争に剣道の精神=四戒 (恐驚疑惑) を基に立ち向かったことが紹介されました。螺旋階段を上を見て登っていけばいつかゴールに達するとの私の言葉でビデオは締めくくられました。私と Peter の名前が呼ばれ、握手とハグをして登壇しました。スピーチは30秒以内という制限でしたが (下右)、「小さい頃から研究者になりたかったこと、最初は素粒子物理学を学びたいと思っていたが、大学1回生の時に分子生物学に出会って魅了されたこと、卒業後生化学者として安定な職を得たが、30歳の時にこの職を捨てて分子生物学を学ぶために米国に来る決断をしたこと、1989年にテキサス州ダラスで UPR に出会ったことを述べ、それから30年近く後にブレークスルー賞を受賞したのはアメリカンドリームの日本版だと締めくくったらかなり受けました。

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ディナー

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最後に受賞者全員が登壇 (下左)。テーブルに戻ったらレデッキーさんのおじさんがスピーチが良かったとハグしてくれました。京大からは山極総長の代理として森田理事が出席してくれました (下中)。これで当日は終わり。疲れました。翌4日 (月) には早朝からスタンフォード大学でシンポジウムが開催されました (下右)。15分のプレゼンでしたが、一般の方も参加されているので、そのように話したら私の話ははわかりやすかったと何人かの方が言いに来てくれました。こうして夢のような (今でも夢のようです) 時間が過ぎ、5日 (火) 午前11時にサンフランシスコを発って帰国の途につきました。

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Youtube を「Breakthrough Prize 2018」で検索すると、受賞式の様子を見ることができます。私達の登場は1時間10分辺りからです。ラッパーも登場するお祭りをお楽しみあれ。

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