研究内容

森教授 2017 ブレークスルー賞生命科学部門2018受賞

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ケイティ・レデッキー (一番左):米国の自由形競泳選手で、ロンドン五輪とリオ五輪で5個の金メダルを獲得、東京五輪を目指している。Peter と私の受賞のプレゼンターを務めてくれた。
スーザン・ウォジッキー (一番右):ユーチューブ CEO、アンの姉、グーグル広告商業部門元副社長。
アン・ウォジッキー (右から2番目):パーソナルゲノム解析会社 23andMe CEO、前夫はグーグルの共同設立者セルゲイ・ブリン氏。スポンサーの一人。若さと美貌に加えて超お金持ちな姉妹です!

7月28日 (金) に出勤すると、Dr. Michael Hall (スイスの分子生物学者、target of rapamycin, TOR, の発見者として著名で、今年のアルバート・ラスカー基礎医学研究賞を単独で受賞) から「important」というタイトルのメールが届いていて、電話番号を教えろと書いてあるではないですか。直ぐに返信すると、その日の夕方に電話がかかってきて、「貴方が今年のブレークスルー賞受賞者に決まった、12月3日の授賞式に絶対に出席すること、それまで受賞を極秘にすること、賞金は 3 million dollars だ!」。この賞の存在は知っていましたが、なんという電話内容でしょうか。ビックリ仰天。

その後事務的なやりとりが始まりました。ラスカー賞受賞時と比べて、科学雑誌からのインタビューはなかったのですが、授賞式で映すビデオ収録に協力することが義務でした。まだ残暑が厳しい9月1〜3日にロンドンからクルーがやってきて、スタジオを借りてのインタビュー、右京署内の剣道場、思い出の場所としての曼殊院 (大学院生の頃修学院に住んでいて、時々、一乗寺下り松・宮本武蔵の決闘の地〜詩仙堂〜曼殊院のあたりを散策していました) 、最後に植物園で撮影が行われました。

さて時は過ぎ、12月1日 (金) 2限の講義を終えた後、関空へ向かい午後6時の便でサンフランシスコヘ出発。同日の午前11時に到着すると車で迎えに来てくれていて、シリコンバレーのフォーシーズンズホテルへ直行 (30分程)。この日はゆっくりと過ごし、夕食にステーキをいただきましたが、パンにバルサミコ酢がついてきました。この辺りの人はやはり健康に気を付けているのでしょうか。

2日 (土) 朝8時から写真撮影とインタビュー (事前に質問事項をもらっていたので簡単でした)。アン・ウォジッキーさん主宰の昼食会に、受賞者全員 (数学2人、物理学5人、生命科学5人) で参加。サイエンスの進歩によって人間社会はより良くなる、次世代の若者達のロールモデルになって欲しいとのお言葉でした。その後、授賞式が行われる NASA エイムズ研究センターへ行ってリハーサル。

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夜は財団創設者の一人・ユリ・ミルナーさん (下左) の山の上の大豪邸に招かれての夕食。下中、賞のトロフィーにも使われている財団のシンボルマーク。ぼけていますが、昨年ノーベル賞とブレークスルー賞を受賞された大隅先生ご夫妻もご参加、ちょっと坂を登るのにもカートを使用とは (下右)。

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3日 (日) 、ローレン・パウエル・ジョブズ (アップルの共同設立者の一人である故スティーブ・ジョブズ氏の元配偶者) 主宰のご自宅でのブランチに受賞者全員で参加。午後は少しゆっくりした後、授賞式はブラックタイ・パーティなのでタキシード (この日のために新調しました!) に着替えて午後3時にホテルを出発。レッド・カーペットの上を歩いて入場 (下左)、Peter と記念撮影 (下中)、レセプション (下右)。続々と人が入ってきますが、勿論知っている人はわずか。有名人の社交場のようです。

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俳優のモーガン・フリーマンさんの司会でおごそかに授賞式が始まり (下左、式終了後に握手をしてもらいました)、物理学→生命科学→数学と進んでいきましたが、テレビ放映のためにコマーシャル休憩がしょっちゅう入り、時間がかかったので緊張がどんどん高まっていきました。私の席の隣りには楽天の三木谷社長が座られ、お話しできました。それぞれの受賞者に俳優などのプレゼンターがつくのですが、Peter と私の場合、「サイエンスもレースとなる」がテーマとなってレデッキーさんが選ばれて「アスリートには競争相手が必要、ライバルの存在が自分の限界以上のものを引き出してくれる」とスピーチした後 Peter と私の紹介ビデオが放映されました (下中)。Peter のイントロの直ぐ後に少年剣道の稽古風景に変わり、Peter との厳しい競争に剣道の精神=四戒 (恐驚疑惑) を基に立ち向かったことが紹介されました。螺旋階段を上を見て登っていけばいつかゴールに達するとの私の言葉でビデオは締めくくられました。私と Peter の名前が呼ばれ、握手とハグをして登壇しました。スピーチは30秒以内という制限でしたが (下右)、「小さい頃から研究者になりたかったこと、最初は素粒子物理学を学びたいと思っていたが、大学1回生の時に分子生物学に出会って魅了されたこと、卒業後生化学者として安定な職を得たが、30歳の時にこの職を捨てて分子生物学を学ぶために米国に来る決断をしたこと、1989年にテキサス州ダラスで UPR に出会ったことを述べ、それから30年近く後にブレークスルー賞を受賞したのはアメリカンドリームの日本版だと締めくくったらかなり受けました。

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ディナー

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最後に受賞者全員が登壇 (下左)。テーブルに戻ったらレデッキーさんのおじさんがスピーチが良かったとハグしてくれました。京大からは山極総長の代理として森田理事が出席してくれました (下中)。これで当日は終わり。疲れました。翌4日 (月) には早朝からスタンフォード大学でシンポジウムが開催されました (下右)。15分のプレゼンでしたが、一般の方も参加されているので、そのように話したら私の話ははわかりやすかったと何人かの方が言いに来てくれました。こうして夢のような (今でも夢のようです) 時間が過ぎ、5日 (火) 午前11時にサンフランシスコを発って帰国の途につきました。

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Youtube を「Breakthrough Prize 2018」で検索すると、受賞式の様子を見ることができます。私達の登場は1時間10分辺りからです。ラッパーも登場するお祭りをお楽しみあれ。