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Kazutoshi Mori 322 4067 教授
Tetsuya Okada 325 4201 助教
Tokiro Ishikawa 315 4202 助教
谷口 麻衣 325 博士研究員
陳 炳碩 315 博士研究員
斎藤峻介 315 教務補佐員
金 聖宇 325 教務補佐員
池田 知世 315 教務補佐員
安田 裕助 325 教務補佐員
岸本麻子 325 D3
稲荷 興心 315 M2
松下 和智 315 M2
溝口万友 325 M2
吉田 朋華 315 M1
阿部 一樹 315 B4
Kaoru Miyagawa 320 4067 技術補佐員
澤田眞紀子 320 4067 技術補佐員
岡田 至 315 4202 技術補佐員

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Kazutoshi Mori

322
4067
教授
出身

岡山県倉敷市 
(同じ中学出身には、元関脇 鷲羽山(現出羽海親方)や元WBC世界チャンピオン辰吉がいるそうな...)

血液型

O

研究テーマ

UPR

趣味

剣道・・・H10年に5段を取得した後、すっかり遠ざかっていたが息子の小学校入学を機に、H14年4月より再開。地元の小学校で週1回、主に息子を含む初心者グループをボランティアとして指導している。 なお、ラボでの指導に竹刀は用いていないのでご安心を!(以上は旧ホームページ立ち上げ時の情報)
現在は右京署で活動している太秦少年柔剣道愛好会の部長として、できるだけ週2回(火と金)小中学生剣士と竹刀を交えようとしている。

ガーデニング・・・真ん中の娘の誕生を機に無理して買った古家の一隅を芝生にし、花壇に草花を植えて毎朝の手入れを日課としている。 なお、この芝生は毎年4月の新人歓迎バーベキューパーティーに供しているので、ご覧になりたい方は研究チームにご参入を!(以上は旧ホームページ立ち上げ時の情報)
現在は、自宅周辺が密集したため、毎年秋に滋賀県の高取山で1泊2日の研究室旅行を開催し、体育館で運動した後BBQを楽しんでいる。

京都大学薬学部卒業
京都大学大学院薬学研究科大学院生(4年間)
岐阜薬科大学助手(4年間)
米国テキサス大学博士研究員(4年半)
株式会社エイチ・エス・ピー研究所主任研究員(5年半)
京都大学大学院生命科学研究科助教授(4年半)
京都大学大学院理学研究科教授(H15年11月より)

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小学生の頃に読んだ戦争マンガの影響を受けて早くから科学者・研究者・博士を目指す。【吾十有五にして学を志し】
中学生時代に新聞でクオークの存在を知り、素粒子物理学に興味を持つ。湯川博士(1949年ノーベル賞)・朝永博士(1965年ノーベル賞)にあこがれて京大理学部を目指す。
が、現実は厳しく、理学部受験を断念し、京大工学部合成化学科へ現役で入学(オイルショック以降化学系はあまり人気がなく入り易かった)。
大学1年時(1977年)に、新聞で利根川博士(1987年ノーベル賞)の活躍を知り、遺伝子情報は大腸菌からヒトまで共通であることを明らかにした分子生物学の登場に衝撃を受ける。高校までは大嫌いだった生物学分野に進むことを考え、薬学部に2回生から転入部(7人の志願者のうち私のみが合格という奇蹟がおこる)。
山科研究室に進み、川嵜先生の手ほどきを受けて生化学を学ぶ。研究は想像していた通りとても面白いものだった。
子供の頃の目標通り博士課程へ進学し、研究に没頭。研究は順調に進み、当時オーバードクターが問題となっていたが、山科研助教授から岐阜薬科大学教授になられた林先生からのお誘いを受け、 D2までで中退し、1985年岐阜薬科大学助手となることができた。
しかし、研究は思うように進まず、悶々たる日々。研究がうまくいかないのは環境の問題か?能力の問題か?見極めたくなり、退路を断って(辞職し)渡米。【三十にして立つ】
1989年テキサス大学でUPRに出会い、一生涯のテーマになると直感。Sambrook 教授とGething 教授の下、UPREの同定とIRE1のクローニングに成功。1993年、論文 Cell 掲載。
1993年京都にできたHSP研究所に職を得て、UPR研究を継続(HSP研究所ができなければ、企業に行っていたかも)。由良先生のアドバイスを受け、ワンハイブリッド法を思いついてHAC1のクローニングに成功し、そのmRNAスプライシングで Peter Walter と激しく論争。吉田氏らと共に哺乳動物UPRに転進。ATF6とXBP1をクローニング。
時限付きのHSP研究所終了1年前の1999年、根岸教授(薬学部時代の隣研究室の先輩)のお誘いを受け、新設された京大大学院生命科学研究科助教授に就任。10年ぶりに大学に戻る。研究スペースの確保には苦労した(4回の引っ越し)。【四十にして惑わず】
真の独立先を探していたところ、2003年京大大学院理学研究科生物物理学教室教授を拝命するという幸運を得、学生として入ることができなかった京大理学部に教員として入る。
 上記のように4,5年ごとに研究室を移ってきましたが、やっと落ち着いたようです。初代の小関治男教授が日本で最初に分子生物学という看板を掲げた歴史ある研究室ですので、重責ですが、今後もサイエンスに邁進したいと考えています。



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