研究内容

森教授  2006   生化学会柿内賞受賞

森先生が「小胞体の恒常性を維持する応答機構の解析」で日本生化学会より第1回柿内三郎記念賞を授けられました 。

本賞は、 1925年に日本生化学会を創立された柿内先生を記念して、生化学の研究分野で優れた研究業績を挙げた50歳未満の会員に贈られる名誉あるものです。

柿内三郎記念賞

森教授  2008   大阪科学賞受賞

森先生が「小胞体ストレス応答の発見とその主要シグナル伝達経路の解明」で第26回大阪科学賞を授けられました。
森大阪科学賞報道

本賞は、明日の人類社会に貢献する創造的科学技術の振興を目的に、大阪府・大阪市・財団法人大阪科学技術センターにより昭和58年に創設された名誉あるものです。

歴代受賞者には、第1回岸本忠三先生、第2回本庶佑先生を筆頭に錚々たる顔ぶれが並んでいます。その末席に加えていただいたことを大変誇りに思います。
歴代受賞者

橋下徹大阪府知事、平松邦夫大阪市長は残念ながら公務のため授賞式を欠席されましたが、岸本先生から下に示す立派な楯を頂きました。
楯の写真

 

受賞講演は中高生でもわかるようにとのことでしたので、噛み砕いた内容とし、その概要は【研究内容ー初学者・文系向け】に掲載しました。

JB論文賞  2009   受賞

Human HRD1 promoter carries a functional unfolded protein response element to which XBP1 but not ATF6 directly binds. K. Yamamoto, N. Suzuki, T. Wada, T. Okada, H. Yoshida, R. J. Kaufman and K. Mori, J. Biochem., 144, 477-486, 2008. 

がJB論文賞を受賞しました。和田匡史君が手掛け、鈴木なつみさんが引き継ぎ、山本敬祐君が纏めた6年越しの論文なので感慨ひとしおです。

森教授  2009   ガードナー国際賞受賞

物語は1本の電話から唐突に始まった。大阪科学賞授賞式を2日後に控えた平成20年10月27日(月)の午前中、いつも通り仕事をしていると電話が鳴った。出てみると「東京の黒川ですが、森先生のお部屋ですか?」(私の頭の中:黒川って誰?)続けて「メールで送ったガードナー賞のノミネートのことだけど」(私の頭の中:???ガードナー賞って何?そんなメール来てないよな。きっと人違い)。私は慌てて「ちょっと何のことかわからないのですが・・・」と返答した。するとようやく詳しい説明が返ってきた。東京の黒川とは日本学術会議前議長の黒川清先生で(お名前を聞いたことがある程度で、まさかそんな雲の上の人から直接電話が掛かってくるなんて夢にも思わなかった)、ガードナー賞とはカナダが出している国際的に著名な賞で、その受賞者の4人に1人がノーベル賞をもらっているという、ラスカー賞と双璧のすごい賞だった(多くの方と同じように、私もラスカー賞のことは知っていたが、ガードナー賞はその存在すら知らなかった。ガードナーの綴りGairdnerがわからず、ホームページを探し当てるのにちょっと時間を要したで程ある)。そのホームページには、recognized as among the most prestigious awards in biomedical scienceと記載されている。

ガードナー賞楯 Peterとツーショット

ここで、ガードナー賞の選考手続きについて解説。まず、毎年10月1日に受賞候補者ノミネートの締め切りが設定されていて、次にカナダ人中堅研究者のみからなる選考委員会が全応募者の一次審査を行い、最後にカナダ人トップ研究者11人と11人の他国トップ研究者からなる選考委員会が一次通過者の中から受賞者を決定する。ノーベル賞やラスカー賞と異なって、特にテーマを定めず、毎年5〜6人に賞が授けられている(今回は3分野5人)。これまで13カ国から298人が選ばれ、そのうち73人がノーベル賞を受賞しており、カナダでの紹介記事には”Baby Nobels”と書かれている。

Peter Walterがそのガードナー賞にノミネートされ[恐らく師匠の Gunter Blobel博士(1999年ノーベル賞受賞)により]、一次選考を通過したため、ガードナー財団から「2005年にワイリー賞をPeter Walterと共同受賞しているKazutoshi Moriも選考対象にしたいからノミネート書類を送るように伝えてもらえないか」と黒川先生に連絡があったようだ。ただし、「ノミネートの締め切りはとっくに過ぎているから、出す気があるなら一週間以内に」とのことだったので、大あわてで書類を作成したが、大阪科学賞の受賞講演の準備もあるし(聴講する中高生にもわかるような講演にしろという難しい指示を受けていた)、2人の外国人から推薦状をもらわなければならなかったし(Carol GrossとWalter Neupertにお願いした)、英文校正にも時間が掛かるので大変だった。このため腰を痛めてしまい、しばらく腰にサポーターを巻かなければならないほどだった(沖縄班会議にはこの状態で参加した)が、何とか指定期日内までに送った。選考結果を静かに待っていたところ、明けて1月22日午前中にPeterから受賞を臭わすメールが来て、昼にガードナー財団のDr. Dirks会長から電話で直接正式な連絡をもらった。3月31日に正式発表をするので、それまで内密にするようにとのことで、3月31日に山中伸弥教授と京大本部で受賞会見をした。4人に1人がノーベル賞、時代の寵児山中教授と同時受賞ということで注目され、一躍時の人となった。

分野外の方にはPeter Walterが誰なのか説明が必要であろう。Gunter Blobel博士の一番弟子と言って過言ではない。私がPeterの存在を最初に知ったのは1981年、Blobel研にいたPeterがJournal of Cell Biologyに筆頭著者として3連報を出したときだ。Blobel博士のシグナル仮説の決定打となり、1999年のノーベル賞受賞に大きく貢献したSignal Recognition Protein (SRP)の同定と解析結果の報告で、私はセミナーで取り上げて発表したが、その内容に驚いた。修士1年だった私には全部は理解できず、師匠の手助けを借りたが、その量と質の高さに圧倒された。いつか自分もこのような美しいサイエンスをやってみたいと心に刻んだのだった。私よりも遙かに年上の研究者が行ったに違いないと考えていたが(その風貌もかなり老けて見えるけど)、後でわかってみると、Peterは私の4つ上で当時まだ大学院生だった。Peterの大学院生時代は驚異的生産性を示し、1979年PNASの第一著者、1980年にNatureの第二著者(3人の真ん中)とPNASの第一著者の論文を出しており、1982年にはSRPに7S RNAが含まれていることをNatureに報告し、略号を変えることなしにSignal Recognition Particleと改名した。これらの卓越した業績により、1年間だけ形式的にポスドクをした後、すぐにUCSFに教授として迎えられたそうだ。その後も小胞体を中心に華々しい活躍をしている。

Peterと私の受賞理由は モfor the dissection and elucidation of a key pathway in the unfolded protein response which regulates protein folding in the cell"である。

関連書類 (PDF)

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